Top School Transfer Program〔トップスクール編入プログラム〕
ニューヨーク大学 ホスピタリティーマネージメント専攻
トップスクール編入プログラムで憧れのNYUに入学
日本では中高一貫校に通っていて、テストさえ受ければ9割近い生徒が付属の大学へも進学可能な状態でした。
周りの友達がリストから気軽に学部を選んだり、友達と相談して同じ学部を選んだりしているのを見て、「これでいいのかなあ」と漠然と思ったのが留学の一番初めのきっかけです。「自分は違う」という小さいころからの負けず嫌いであまのじゃくな性格も正直あったと思います。
そして、両親が大の旅行好きだったこともあり、世界のいろいろな国々を旅行する中で、ホテルという優雅で機能的な場所・非日常の中で日常を提供するというサービスに興味があり、また、接客学のすべてがここに詰まっている気がして、ホテル経営学を学びたいなとこれまた漠然と考えていました。
ホテル業界なら英語は必須だろうし、もともと留学には興味があったし、人と違うことをしてみたいし…など、学部選びをきっかけとして留学することがとても自然な流れのようであり、前から決まっていたことのように感じました。
留学しよう!と熟慮のしたうえで決めたわけではないので、渡米前や渡米直後はとても楽天的でした。というより、何も考えていませんでした。
周りの友達の留学経験者やトフルゼミナールの体験談などを読んで、とても華々しく、毎日がキラキラした留学生活を送れるものだと信じ込んでいました。もちろん勉強がつらいことは予想していましたが、真面目に取り組む決意はあったし、勉強自体は昔から嫌いではなかったので、自分ならできるだろうという根拠のない自信を持っていたのです。
そんな風にふわふわしたままトフル提携校の2年制大学・Dean Collegeへ進むことになりました。
本当の自分に向き合った2年間
大学に入学して最初の1年間は新しいことも多く、平穏に楽しく過ごせました。勉強量はかなり多かったのですが、予定を立て、時間を割いてレポートなどを仕上げて、点数が上がっていくのを見るのは頑張りが正当に評価されている気がして快感でした。
Dean Collegeは小規模な学校なので、疑問があったらクラスが終わってからちょっと残って質問したり、アドバイスを聞いたりすることができたのがとても良かったです。
アットホームな雰囲気なので、アドバイス通りにその場で訂正をしたらおまけで点数を上げてくれたり、残っている生徒同士で分からないことリストを作って勉強会を開いたりと、小学校のような雰囲気でアカデミックなことができて面白かったです。「授業後」に残っている生徒は真剣な生徒ばかりなので、なるべくそういう人たちにくっついて自分のモチベーションを保っていました。
しかし、2年目になって、一気に精神面が崩れました。目新しいことはないし、授業は一般教養の最終課程なので興味がないのにやたら難しい科目ばかり、それでもいい成績をキープしないといけないし、それに加えて編入先の大学にエッセイを書かなくてはならないし、5校ほどの志望校に向けてそろえなくてはいけない書類は山ほどあり、しかもそれらのバラバラの締め切りに毎日毎日追われる…というような日々に耐えられなくなったのです。
その中でも遅刻も欠席もせず、編入に有利といわれる課外活動までこなすかつての「授業後」の友人もいて、彼らと自分の間に深い溝を感じ、友達さえいなくなったような気がして、いつも自己嫌悪に襲われていました。
逆にそれほど気張らず、Deanでの生活を最大限に楽しんでいる友人や、アメリカで勉強できているというだけで満足という留学生の友人もいて、どちらにも踏み切れなかった自分は毎日悶々としていました。両親や友人は、「他人など構わず冷静にわが道を行けばいいんだよ」とアドバイスをしてくれましたが、私には「わが道」が何なのか分からなくなっていました。
そんな時のトフルゼミナールのサポート、特に現地のカウンセリングスタッフは心の支えでした。私の母ぐらいの年のアメリカ人女性で、週に1回1時間、不安なことやつらいことなどを親身になって聞いてくれました。
学校外の方なので、不満や愚痴なども言いやすく、今考えるとよく彼女はうんざりしなかったな、と思うほどに感情をぶちまけていました。
「あなたにはリフレッシュが必要。普段これやってみたいな~ってことをリストにしておいて、落ち込んだら一気に試すのよ!20項目ぐらい作っておきなさい!」など、アメリカ人らしいポジティブな解決方法を提示してくれたり、志望願書のアドバイスをしてくれたり、アメリカの駐車違反の払い方を教えてくれたりと、本当になんでも教えてくれました。
特に志望願書は絶対他人の目で添削やアドバイスを行ってもらわないと、意味がわかりづらいところや余計なところは自分では分からなかったので、本当に彼女がいてくれてよかったと思います。
実際は、志望願書のアドバイスなどを素直に聞けなかったり、励ましてもらっても卑屈になったりと、そのときの自分はひどいものでしたが、彼女が目を見て言ってくれた、「I’m always here for you.」という言葉で何回も救われました。
そうやって、今まで見たくなかった「理想は大きいが努力が続かず、精神面が弱くて周りに流されやすい」という、どうしようもない自分の本当の姿が見えてくると、不思議なことに逆にだんだんと生活が楽になってくるのを感じました。
それが妥協や限界を知るといったネガティブなものだったのか、自己肯定というポジティブなものだったのかは分かりませんが、結局どっちにしても一緒なのだと思います。
「ああこれが本とかでよく言う自分探しってやつなんだろう」と思いました。うまく言葉ではいえませんが、拍子抜けするくらい今まで悩んでいたことが馬鹿らしくなり、見栄を張るのはやめ、自分のできる限り勉強してみようと素直に決心することができました。そしてそんな悟ったような心境で書いたエッセイでニューヨーク大学やボストン大学、ジョージワシントン大学などから合格通知を受け取りました。
留学を経ての自己成長を実感
よく、「苦労は買ってでもしろ」と言いますが、留学はまさにその言葉通りのものだと思います。
留学を通して私は、学術的なことはもちろんですが、精神面において大きく成長しました。言葉にすると単純で、留学なんかしなくてもいつかこんなことは分かったのでは…と思うこともありますが、やっぱり私にはこの膨大なプロセスとお金をかけなければできなかったことなのだと思います。
それに、私が書いたような苦悩や挫折がいっぺんに来るのではなく、留学はその他の大きな喜びや楽しみも与えてくれます。
英語という言語を通して、世界中から来ている人々と自分の関心がある学問や、その他の他愛もない話で面と向かい合って議論したり、ものすごく気が合う人を見つけたり、自分の考えたことが認められたりするということはやっぱり何事にも換えがたい喜びだと思います。
このような、人とコミュニケートする喜びを体で覚えた経験は、ホテルで働く上でも、人と関わるどんな仕事でも基本になると思います。
これからも挫けたりあきらめたりせず、支えてくれる人の感謝を忘れることなく、「わが道をいく」の精神でがんばっていきたいと思います。
ワシントン大学タコマ校 ソーシャルワーク専攻
日本の学校が合わないと留学を決意!
中学・高校時代、日本の学校が自分に合わないな。と違和感を感じることが多々あり、海外に出たら少し人との付き合い方や考え方が変わるかもしれないと思い留学を考えていました。
英語学習ために高校1年生からトフルゼミナールに通い始め、高校生の間に自分がアメリカで何が学びたいのかも明確になり、心理学・社会学など人のケアやカウンセリングをする分野がアメリカで進んでいることに気づきました。高校の卒業が迫るにつれ、アメリカの大学へ留学する思いは強くなり海外に進学することを決めました。
私が変わった瞬間 最も嬉しかった出来事
はじめは田舎のカレッジに進学しましたが、田舎は自分には合わないということがわかり、ワシントン州のハイラインコミュニティーカレッジに転入しました。カレッジはシアトルからバスで40分の距離にあり、田舎過ぎず都会過ぎず学校の規模もちょうどよかったです。
今までのアメリカ生活でよかったことは、様々な国の学生と友達になれたことも嬉しいことでしたが、中でも私が一番嬉しかったことは、writingのresearch paperのクラスで、一番の成績が取れたことです。
このクラスは、2回も15ページ以上のリサーチペーパーを書かなければならず、アメリカ人にもハードな授業で、悪い成績または落第する生徒が多く、教授も厳しいことも有名でした。
Writingが高校生から大の苦手で、トフルの授業中に簡単なエッセイを書くのも遅かった落ちこぼれの私が、まさかこんな大変なクラスで一番になれるなんて本当にびっくりと嬉しさがこみ上げてきました。
教授が皆の前で『エリコ!あなたのペーパーはすばらしい。このクラスでトップの成績よ!留学生でもこんなに良いものが書けるのだから、あなた達も(アメリカ人学生)も見習いなさい!』と言ってくれたときは、嬉しさで泣きそうになりました。
留学生でも、日本人でも、英語が出来なくて落ちこぼれだった私も、頑張れば夢のようなことが起きるんだなとこの時実感しました。その時から大の苦手で大嫌いだったエッセイを書くときは絶対にアメリカ人に負けないぞ!と意気込み必死で書きました。
苦労したことは、やはり勉強面と他の国の友達とのコミュニケーションでした。中々思うように成績が取れず成績がガタ落ちしたこともあり、友達とも意志疎通がうまくできずに喧嘩をすることもありました。
そういう時はよく現地のサポートスタッフには、励まされました。また、海外の友達に、日本について聞かれても、東京・京都とかありきたりな答えしかできず、逆に日本に興味がある子たちは私よりも知っていて驚かされました。日本をより知り、海外の子に教えることができることも大切だなと実感しています。
夢に一歩近づいた自分を実感!
時間はかかってしまいましたが、自分が希望したSocial Work専攻でワシントン大学に編入が決定し、少し自信がつきました。まだ将来の夢は漠然としていますが、ソーシャルワーカーになって、まずはアメリカで働くことです。児童養護施設で働くのも夢ですが、アメリカで出会って知ることのできた同性愛者や性同一性障害の人たちをサポートする仕事にもとても興味があります。ソーシャルワーカーとして人とface to faceで関わる仕事につくことが夢です。
英語は得意科目ではなく、一度も海外に出たことのない私が、高校を卒業して初めてアメリカに渡りました。
最初の語学学校は2週間くらい泣きっぱなしで、学校にいるときさえも急に泣き出したりしていました。でも、人は究極になると成長するんだということを今実感しています。
当初は、ポテトを「フライドポテト」とオーダーして、店員に理解してもらえませんでした。(アメリカではフレンチフライ)そんな留学生活のスタートだったのが、カレッジに進学し友達も増え、無事に大学にも編入できて、自分でも信じられないくらいです。
今英語が嫌でも、だめだと思っても、そこであきらめないで地道に頑張って行ったら絶対に道は開けます。あとは、精一杯勉強と遊びをエンジョイして留学生活を一生忘れられない時間にしてください!
カリフォルニア大学 バークレー校 アート専攻
国・文化を超えた新たな出会い
2001年の9.11があったとき小学生だった私は、非常に大きな衝撃を受けました。
そのとき私が所属していた合唱団で、現地の人々に自分達の歌をテープに録音して送りそれを聞いた現地の人達が、今度は自分達に対して、ありがとうと返事をくれたとき、初めて知識としてではなく、世界中に人がいるということを実感し、「国や文化を超えて、実際に世界中の人達と関わりたい、世界に触れたい」と思ったのが、海外大学への進学を決めた一番最初のきっかけです。
高校までは日本の教育を受け、それから、多民族国家でもあり、海外で学習をしたいと思ったきっかけの地であるアメリカで、大学教育を受けたいと思い、海外大学への進学を決めました。
「自分」というものを成長できた体験
コミュニティーカレッジでは編入に必要な一般教養と、自分の専攻に必要なクラスを取りました。英語の授業に限らず、エッセイの課題が多く出されました。またプレゼンテーション、ディスカッション、グループワークなど今まであまり馴染みのなかった授業方法に戸惑いました。
アメリカでは自分の考えが重要視されます。今までと違って、様々な問題を自分で答えを見つけていかなければならないし、授業に対しても、自分から積極的に参加しなければ何も得られない、また自信を持つことも重要であると学びました。
単純に自信があるとかないとかはそこまで重要ではなく、相手を納得させ信じてもらうためにまず自分がしっかり自信を持っていなければならない、またそのための準備をしっかり行っておくということが大切だということを、今までの留学生活を通じて学びました。
そして、学習の内容そのもの以上に、多種多様なカルチャーの中で、そういった勉強の仕方や将来仕事をするうえで必要だと思われることを学べていると思います。実際、こちらに来て自分が常識だと思っていたことがことごとく覆されていくこと、さまざまな文化や考え方に触れることにより、留学前と比べて何でも自分でやっていかなきゃならないという自立心を養え、視野が広がった気がします。また勉強だけではなくそういった日本では体験できないたくさんの経験が留学して一番良かったことだと思っています。
周りの支えと諦めない精神によって生み出された力
UCSD、UCI、SDSUそしてUC Berkeleyに美術専攻で合格することができ、どの大学に進学するかはだいぶ悩みました。現地スタッフや友人に相談し、また自分にとって何が必要なんだろうと、何がやりたいんだろうと思ったときにUC Berkeleyが一番合っているのではないかと思い進学を決意しました。
自分がこうしてUC Berkeleyに編入することが出来たのは、本当に周りの人達に恵まれていたからだと思います。応援してくれている家族がいたから、クラスでは常にAを取ろうと自分なりに頑張ってきました。またチューターやライティングセンターにもたくさん通って、分からないことがあればすぐに先生に質問していました。書類や出願などは現地指導員にとてもサポートしていただき何とかできたと思います。
コミュニティカレッジにいたときは成績重視に偏ってしまったので、バークレーでは本質的にしっかりと学んでいきたいなと思っています。オリエンテーションや実際の授業に出てみて、Berkeleyの持つ雰囲気や人々の個性の強さに刺激される毎日を過ごしています。
これから先のことを考えると不安なことばかりですが、「自分には出来る、絶対にやってやる」という気持ちを持って、時には失敗もあると思いますが、突っ走って強く生きていきたいなと思いました。
卒業後は、アートに関する職業、特に広告系の会社や、メーカーなどのデザイン部で仕事が出来ればと思います。自分にできるアートの寒天から社会貢献ができる自分になっていて、実際に行動できることが今現在の将来描いている私の夢です。
カリフォルニア大学 バークレー校 音楽専攻
幼い頃の経験が海外大学進学へのきっかけ
幼い頃はディズニー、中学生の頃は洋楽が大好きで、音楽や映画を通して自然と英語やアメリカ文化に興味を持つようになりました。高校に入って初めてアメリカにホームステイし、アメリカの気風が自分に合っていたので本格的に留学がしたいなと思うようになりました。
日本の大学と異なり、入学時に専攻を決めなくてよいため、自由に授業を選べること、さらに、日本を離れて精神的に自立がしたいと思ったのもきっかけです。しかしながら、親が留学に大反対だったため、日本の大学の中で比較的にアメリカの大学に近いICUを受験しましたが、不合格でした。
私がひどく落ち込んでいた姿をみた両親は、留学をすることを許可してくれ、国内コースに2年間通っていて、実際に留学の編入合格実績が高いトフルゼミナールにサポートをお願いすることにしました。
カレッジに入学してからは、まずは語学を主に勉強しました。英語を含め様々な言語を話す人と直接話す機会がたくさんあり、日常生活や進学に多く関わっていたので、必然的に上達しました。
専攻は、なるべく自分が興味の持てる内容や専攻決定につながるクラスを選択するため、音楽に決めました。専攻を音楽に決めてからは、積極的に関連するクラスを履修しました。またピアノ伴奏者として、オペラ・ミュージカル・オーケストラの公演に関わったり、地元の高校や老人ホームでピアノを弾く機会も頂きました。
危機感を持てる学生生活と孤独そして将来
アメリカでの大学生活を経験して、メディアを通じてしか知らなかったアメリカに対して、理解が深まりました。また同時に家族の大切さや日本の良いところも改めて感じました。
今の時代、留学自体は珍しいことではなくなってしまいましたが、全ての学生が一度決めた目標に向かって諦めずに努力しているとは限りません。そういった意味で、常に危機感を持って学生生活を送れていたことはとても意味があると思いました。
でも逆に、日本にいる同級生と比べて悲しくなったり、焦ってしまうことがよくありました。英語が上達するまで、なかなか現地の人達に馴染めず、悔しんでいたこともありましたが、今は留学生という個性を生かし、話の合う友達にたくさん巡りあう事ができました。
思い通りの人生を計画通りに歩むことは難しいと思います。幼い頃に知らなかったり、経験不足で選択肢になかったことも、数年後には手に届くようになっていることがあります。
これから先不安なこともたくさんありますが、将来は自分の学んだことや能力を生かして、社会の役に立てるような仕事がしたいなと思います。
具体的にバークレーでは、心理学や認知学に重点を置いた音楽を学んでいく予定です。
誰かを助けたり、世界を変える前には、まず自分が良い影響を与えられるくらいの余裕が無くてはいけません。そのためにまず、自分が社会的に自立することが私の第一の目標です。